ひとりのきもち

素敵な孤独の修行もしています。主に愚痴ですが…胸の内を吐き出す雑多なブログです。

幼稚園の思い出。誘拐未遂前編

うちの家庭は幼稚園の時から男女差別がありました。
兄は幼稚園の時は英会話スクールにも通ってました。
お休みの時も必ず本人が英語で欠席する事を話すというスクールで
電話口で英語を話す兄をかっこよく思ってました。


私も来年通うのかな?かっこよく喋れるようになるのかな?ルン♪
と思っていたが、
翌年、通わず。。。
私は、華麗にスルーされました。


もうそうなると、遊ぶことしか頭にない私。


基本遊ぶ子は、対面に住んでいる同学年のA子ちゃんと
マンションの管理人のBちゃんと一緒になって遊ぶことが多かった。
写真も残ってるのは、三人で写っているのが多い。
A子ちゃんとBちゃんのお家で遊ぶ、
リカちゃん人形やママレンジ好きだったなぁ。
リカちゃんのお家とか豪華で、可愛くてキラキラしていた。
ママレンジも、本当に調理が出来て、ホットケーキ焼いて食べたり
美味しかった♪



三人で遊ぶ内の私だけ持って無い訳で。。。
当然私にも買って貰えると思ってたけど、
いつまで経っても買ってくれず。。。
それも華麗にスルーされてました。


何年か後に母親に聞いたら
「だって欲しいって言わなかったじゃない!」だとーー
確かに私はずっと〇〇が欲しいとか主張をしない子でした。
相手のことを先に考えてしまうので、言えなくなっちゃうんですね。


でもね、兄にはガンガン買うんですよ。
ひどい時は兄のお下がりの靴を履かされたり
これは小学生中学年くらいまで続き
後に母に言うと
「そんな事していない」と
「この写真見て」と写真にしっかり男物色の靴が写ってる訳です。
幼稚園の時の女の子の靴って可愛い色のなんですよねぇ♪
私は暗い色の男物。。。全てでは無いけど。。。
それが写真でも残っているって事は、結構あったってわけです。



でも私は親が好きで、親から兄への期待から少しでも私に振り向いて欲しくて、
立派な人の顔色を読む子供になりましたw
HSPの精度ってこうやって上がっていくのかな?とも今思います。


本編とは関係ないけど、幼稚園の思い出と愚痴り。




話は戻して。。。
リカちゃん人形、ママレンジ以外の遊びは、
住んでいたマンションの一階のエントランスや駐車場で遊ぶ事も多かった。


「誰とでも仲良く遊びなさい」教育があったので
全く知らない子、名前すら知らない子も混ざって遊ぶのも普通にありました。
住んでる場所柄、外国人の子もたまに遊んだり、
結局言葉わからず短時間なんですけどね。。。そういうこともよくありました。
外国人をジロジロ見ないのはこの頃から自然と身についたのかもしれません。
珍しく無いからね。割と誰でもオープンに遊んでました。



そんな年長のとある日


Bちゃんと私が遊んでいる時
知らない女の子が、
その子の親とやって来て一緒に遊びました。
親にガーっと押されたような感じで入ってきました。
子供(以下NKちゃん)は尻込みしているような、感じでした。


親はあっという間に帰って行きました。
消えたという感覚が近い。
NKちゃんにお母さん帰ったよって言った記憶もあったのですが
NKちゃんは何も言わなかったと思います。



当時から私はHSP気質だったのでしょう、
初めての子だから私たちのこと知らないだろうし
なんか親に無理やり感があり、気の毒というか、お母さんすぐ帰っちゃうし
馴染むまでいつもよりたくさん気にかけて最初は声かけてました。



遊んでいる中で何故かBちゃんから親の職業は何かという流れになりました。


年長で知りたがり、知ったかぶり期の私。
当然親に聞いて親が何をしているのか知ってました。
年子の小一の兄にも、私は来年小学生になるので、
いろいろ聞きまくりで、時間割を見て
「国語って何するの?算数って?理科って?。。。図画工作って?」
と見るもの全て聞いてウザがられてました。




B「うちのお父さんは管理人。ひとりちゃんのお父さんは?」
私「〇〇〇〇の〇〇だよ」
B「そうなんだ(多分解らない)。。。であなたは」
とNKちゃんをさし
NKちゃんはごにょごにょ何か言ってて聞こえない
B「聞こえなかった」


NK「。。。。。。。。工作員」
B「そうなんだ」即答


(あれ?なんか知ってる。。。そして思い出し)
私「あー(知ってるトーン)工作ね。」


知ったかぶりで勘違い私。兄の「図画工作」の時間割と教えてもらった事を
思い出し、完全に
図画工作の先生なんだ!と思い込んで返事をした。


翌日に思いも寄らぬ事になるのに。。。。




翌日の話は次回へ。