ひとりのきもち

素敵な孤独の修行もしています。主に愚痴ですが…胸の内を吐き出す雑多なブログです。

幼稚園の思い出。誘拐未遂後編

前記事の続きです。


翌日、幼稚園でもたっぷり歌い、たっぷり遊び
家に帰って
遊んでくる!と外に出た私。


そうしたら昨日のNKちゃんがマンションのエントランスに立っていた。


NK「遊ぼう。 来て!」
と言い、私の手をしっかり握り約50m先の少し広い通りの方へ
少し早足でややぐいぐい引っ張られる感じでした。
道に出る途中
私「どこいくの?」
の質問にもNKちゃんは無言だった。


そして、広い通りに着いて、少し歩いたら
NKちゃんに手を握られたまま、周りを大人の人に囲まれてしまった。
あっという間だった。



NKちゃん以外は背が高いので嫌な感じがした。



と。。。
その時
「ひとりちゃん! ひとりちゃんじゃない!」
A子ちゃんのおばちゃん(前編で書いたよく遊ぶ同級生のA子ちゃんの母上)が
丁度NKちゃんのいる方向から私が見えたのか
いつもの優しい顔なんだけど、やや険しめ顔して走って来た。


A子ちゃんのおばちゃんが
「ひとりちゃん、この子、友達なの?」
とやや強い口調で言って来た



私はA子ちゃんのおばちゃんの優しい顔の中にやや険しい顔見て、
これはまずいのか、、、
でも、こっちのNKちゃんは昨日遊んだ子だし。。。と揺れて
結局、何も言えなくなってしまった。。。


それが良かったのか、


A子ちゃんのおばちゃんはNKちゃんの手を振り解き
私の手をしっかり握り
「お家行こうね!」の言葉に
うんと頷き
A子ちゃんのおばちゃんと、うちに帰った。


「ひとりちゃん、痛いところないかな、大丈夫かな
もうすぐうちだからね」と道中ずっと優しく話しかけてくれた。



家に着き、A子ちゃんのおばちゃんと私の母と話していて
なんか、やばいということは解った。


最後の方のA子ちゃんのおばちゃん声
「今いろいろあるから、注意したほうがいいよ」というのはしっかり聞こえた。


私は単純にこれは怒られるのか。。。と怒られるフラグ来たー!
という感じでやばい雰囲気はしっかり感じた。


A子ちゃんのおばちゃんが
「じゃあ、ひとりちゃんまた明日!ごきげんよう」
私「ごきげんようさようなら」と。。。


家の中で母親に怒られるのか。。。。とビクビクしていたが
結局、何にも言われませんでした。


当時は割と単純で、怒られなければオッケー!的な所があって、
いつも通りたっぷり寝て
翌日には元気に幼稚園に行きました。






ということが幼稚園の年長の時にありました。


後に、ある程度の年齢になり、いろいろ知る頃になって
これが誘拐未遂という事が解って来た時に思ったのは
やはり怒られていない。。。前に記事に書きましたが

命名が親じゃないから、ここの家の子じゃないのかな?
ってすぐ思ってしまった。



私は、A子ちゃんのおばちゃんに助けられた訳ですが
この子友達なの?と聞かれた時
私が顔色を読まないストレートな物言いの子で、
そのまま正直に「昨日遊んだ子」と言ったら
どうなっていたのだろうか。。。


今の大人の私なら一度遊んだ程度なら友達にはならないけど
誰とでも仲良く遊ぶっていう教育のおかげで
子供時代の当時の私は、
一度遊んだら友達で知り合いになってしまってたのです。



そして、さらに経ち、北朝鮮の工作員が日本人を拉致して
というニュースで工作員という言葉を知るようになって。。。


未遂じゃなかったら、今頃は本当にこの世にはいないんだと。。。
この誘拐未遂のNKちゃんと話した内容は親には言わず、
私の心にしまおうと思った。
ので。。。初出しですw


しかし、他の国の工作員もあり得ますし。
NKちゃんが本当のことを言ってなかったり
間違って言った可能性もありますけど。。。
NKちゃんは多分年下という感じは受けました。
でも工作員教育はするでしょうし。。。
モロ言ってたので。。。その辺は謎です。
因みにNKちゃんは、私たちと変わらない顔立ちでした。


私の場合の誘拐未遂は前日に子供(NKちゃん)とその親と思われる大人使った
前準備がありました。計画的でもあったのかな?
車がない場合は、周りを囲う大人が何人か必要になるから、
車なしの場合は前準備が必要なのでしょうか。。。


車ありの場合は想像すると怖いですね。
魔がさした的な動機でもあり得ちゃいますからね。
抱えられ、車に物同然で投げ込まれる事もあるでしょう。。。怖



私の運は、この時に使い切ってしまった感じがします。



最近過去の思い出を少し書いてますが、
ストレスで脳の機能が固まるというか、落ちてきていて
しかも、加齢も加わって危機感を感じ。。。記憶が曖昧になる前に
書き留めておきたいと思ったからです。


今は思考を止めて、感じない日常を心がけており、
思い出だけで今を生きている所があるので、
良い事もそうでなかった今回のような事を含め、
思い出を大切にしたいと思って書き始めています。